赤ちゃんからの進化

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こんにちは。しめじママです。 先日、息子が無事1歳を迎えました。この1年の記憶が走馬灯のようによみがえり、涙腺が弱くなる我々です。月並みながら、「去年の今頃は陣痛で死ぬかと思ってた」とか、生まれた時の思い出を共有したくなりますね。夫は夫で、出てきた瞬間に母方の顔だと思ったとか、当時のことをしみじみ語っておりました。 特にオリジナルなことはしていませんが、誕生日当日は年休を取り、スタジオに写真を撮りに行ったりケーキを作って食べたりしました。 これまた月並みに「1年ごとに家族写真を撮って成長の過程を後で振り返る」という野望を秘めているため、かなり気合を入れてスタジオに足を運んだのですが、ま~あ大号泣でした。先に撮影されているお子さんが泣いており、シンクロしてしまったのか、昼寝の時間に差し掛かっていたからか、写真を撮る雰囲気自体が嫌なのか、多分全部なのでしょうが、盛大に泣いてくれました。スタッフの方は色々手を尽くしてくれて、「落ち着くまで待つか(何組か後に)スケジュールを改めましょうか」と提案してくれたのですが、写真を撮る限り泣き止むまいと心に誓っていることを察した私はこれを辞退し、泣き顔を撮って終わったのでした。 (母の勘では、恐らく複数のスタッフの方があらゆるおもちゃを駆使して盛り上げてくれるのが逆にわーっと来るようで怖くて嫌なのかもなと思うのですが、プロのやり方に口を挟む勇気はありませんでした…) お食い初め に続き、泣き顔で終わった写真撮影…来年こそはリベンジしたいと思います。 それはそれとして、特に大病もなく1歳を迎えたことは素直に嬉しいです。 変に盛り上がってしまいましたが、1歳はゴールではなくひとつの通過点ですね。また気分一新、子どもと向き合っていきたいと思います。 それでは本日はこの辺で。

大人の階段をまた一歩





そんな大人の対応はしてくれなくて良いのです。一瞬の間が痛いです。。

普段は、別にこちらが意図していなくても、振り返るだけでいないいないばあかと思って勝手にウケてくれるのです。かつてのウケなかった時代を思うと大進歩です。
そう考えれば、機嫌が良くなくても、多少はリアクションしてくれることを大いに喜ぶべきなのか…しかし、「ばあ」のタイミングで真顔の息子と目と目が合った時のなんとも言えない気持ちは、あまり慣れたくないものです。

この塩対応の背景として1つ思い当たるのが、手で顔を隠して「ばぁ」をやる、いわゆる普通のいないいないばぁに加え、バージョン違いもやることなのですが。物陰に隠れて「いないいな~い…ばぁ!」をやるバージョン(ひょっこりはん的なやつ)、更に物陰に隠れて「いないいな~い」をやらずに唐突にばぁをやるバージョン(こちらの気配を察している時に限る)、「ばぁ」の代わりに「にゅっ」と言うバージョンなどがあります。これは裏を返すと、コミュニケーションのネタに困ったらとりあえず「いないいないばぁ」に頼っているとも言えます。息子は毎度それに付き合わされ…要するに食傷気味になってるのかもしれないです。。

そこまで自己分析してるなら自重しろよと今自分で思いました。すまぬ息子よ。

今後は、飽きられている空気を感じたらほどほどにしようと思います。

それでは本日はこの辺で。

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